2021年 愛知県大会 専門家講評 総評1

上演記録2021

本年度専門家講評委員をしていただいた、

劇作家・演出家の鹿目由紀さんから、

今回の県大会での上演についての総評と各校への短評をいただきましたので、掲載します。

☆総評☆

みなさま、おつかれさまでした。

世がこんな状況の中、芝居をつくること、書くこと、稽古を積み上げること、上演すること、それにともなう沢山のこと、とても大変だったと想像します。感染対策のためさびしい客席になってしまいましたし、沢山の人に観てもらいたかったと思う方もいらっしゃるでしょう。

けれど幸運なことに客席で観られた自分としては、大変なことを乗り越えて、素敵なものを上演してくださったこと感謝しています。イチ客席に座った者として生で観られて大変贅沢な時間でした。ありがとうございました。

さて総合的な文章を、と頼まれたのですが、何から書いていいのか非常に迷います。それぞれ素晴らしかったところも沢山ありますしもっと考えたほうがいい、改善できるというところもありました。

色々頭を巡らせまして、それで自分は劇作家と演出家の仕事で生きていますから、その立場から感じることを率直に書きます。まず「全体を通して」そして「各校にあてて直接伝えたかったけど伝えられなかったこと」を書いてみます。よろしくお願いします。

全体を通して。生の台詞、姿、スタッフワークそれぞれ個性的に発揮されていました。演技が秀でているところもあれば、スタッフワークが美しいところもありました。その中で感じたのは「どこかで疑うこと」と「多角的にみてみること」でした。前者の「どこかで疑うこと」は必要なことだと思っています。色んな高校の演劇部の形、つくり方があるのだと推察します。生徒たちだけでつくるところ、時々顧問の先生や先輩のアドバイスを貰うところ、先生がホンを書き演出しているところ、など、部活の伝統なり形式は様々なんだろうなあと思います。ですが、見るものはそれを「はじめて」見るわけです。例えば地区大会でやっていたとしても、その時その舞台でその瞬間演じることは「はじめて」なわけです。だからいつも疑いを持って欲しいと願います。戯曲・演出や演技方法についても様々な疑問が湧きました。もちろん胸を打たれた場面もありました。ですが各部で「これはいい、なぜなら今までもこうしてきたから」という理由なき理由で、演技の仕方、演出の在り方のエッセンスだけが代々伝わり、形式だけを追ってしまっているかも、と思うスタイルが多々観られました。

演劇にこれは普通でこれは間違っている、こうでなきゃいけない、は無いと思います。もちろんひとつのジャンルとして残ってきているわけですから、鉄板の技術はあります。でも自由な考え方、新しい見方が生まれるのも演劇の魅力のひとつですし、みなさんのやわらかい頭からはきっとアイディアが沢山生まれるはずだと思います。継承してきたことがなんとなく形骸化してきてないか、または顧問の先生の言葉を鵜呑みにしているがそれはいいのだろうか、など、疑うべきところは疑い、みなさんの魅力をもっと存分に出して欲しいと思いました。実際、台詞や場面単位で、これはけっしてわたしには出来ない、そしてこうやることはしない、という魅力的な部分が多々観られました。みなさんだからこそ出来る素晴らしい表現だと思います。ですからどうか、いいと思うことをいいと決めつけずに、なぜいいのか、どこがいいのか、ずっといいためにはどうしたらいいかを模索してみてください。

後者の「多角的にみてみること」については創作台本や、既成ながらも穴の多い台本、また既成台本の内容解釈などで、色々と引っかかる点がありました。取り上げた題材の面白さ、心に残る台詞、いろいろありました。既成台本を丁寧に理解しようとしているなと感じる上演校もありました。けれど、この台本理解・解釈の部分はもっと磨いていってほしいところだと思いました。テーマ、などというたいそうなものでなくていいと思います、なにが「目的」として書かれていて、それをどうしていく話なのか、そのために必要なことは何か、客観的にそれらは叶えられているか、など、もう少し掘り下げられたら素敵だと感じました。

台本解釈を話し合う時間などがもう少し必要かもしれません、特に創作の場合は、書いたものを多角的に見る時間が必要かもしれません。後ろ向きでなく前向きに、もっと考えてもらえたら、劇作家として生きている自分にとってこれほどありがたいことはないなあ、と感じました。

以上、総合的に感じたことを書きましたが、いずれも見応えがあり、この大変な時期にみなさんの作品に出会えたことを感謝しております。全ての演劇部のご努力はもちろんのこと、特に豊橋にて上演しなければならなくなった五校のみなさんは苦心されたことと思います。本当におつかれさまでした。

さて長くてすみません。直接お会いできなかったので、総合的にと言いつつ、各校の方々に感想を書きます。直接伝えられないので言葉が短くなり申し訳ないですし、また上手く伝わらなかったらすみません。何かの折に会える日が来ることも同時に祈ります。

☆各校別短評☆

【G線上のエリア】

題材としては誰もが感じる気持ちを描いていて頷けるところが多々ありました。スタイリッシュな美術は好きでしたが、使い方が活かしきれていかなかったように感じました。繰り返しが行われた時のみなさんの立ち位置が、ストーリーにとっていい立ち位置ではなかったのが勿体なかったです。あと、あれだけ身近な話題ですから、主人公の変化がもっと浮き出てくると観ている側に伝わるものも大きくなったのではないかな、と思いました。

【ハンナのかばん】

面白く拝見しました。最後、ガス室に行く時にかかるオルゴールが、中盤でかかったオルゴールとリンクし、悲しく切なく感じて良かったですし、セットの中央にはじめから収容所を想起させるものを配置したのも良かったです。家族の食卓の転換の仕方が上手ければいいなと思いました。主人公の歌も素敵でしたが、実はお兄さんの拙い(すみません)歌のおかげで、より引き立っていて、お兄さんいい配役でした。

【Take Me Deeper】

天秤のセット面白かったです。着地点はとても面白い話だと思いました。実はその場にいなかった者の罪を問うているというのは、客席にもそれを問うているということですしいい題材でした。ですが、転換のやりかた、実はこの話は違う生徒の罪でした(×3)、みたいなやり方の時のテンポ感など、話を見せるために疾走感が失われる時がいくつかありました。客の集中が途切れないためにもいいつなぎや転換の方法を編み出せたらよいなと思います。

【星が海に落ちる時 ―銀河鉄道幻想紀行―】

いきなり冒頭の絵の美しさに圧倒されました。それから鉄道への転換、あの4つのライトを観ているうちにあっという間に次の場面になっている美しさ、どれも幻想的でうっとりしました。演技の質、ツヤみたいなものは物語が(駅が)進むにつれ加速していくといいなと思いました。また引用が非常に多い戯曲でしたが「人の言葉を借りる」ことの重み、敬意みたいなものがその取り入れ方に乗っているといいと思います。手紙の魚の話、自分は寺山作品を何度か演出したことがありすぐ気づきましたが、あれは寺山修司の言葉、思想であり、それを自分たちの編み出したものとせず大事に扱う姿勢は、創作には必要なものだと感じています。面倒だと感じてしまったりするかもしれませんが、人の生み出したものを借りるというのは、生み出した側と同じくらい手間のかかることだったりします。

【サブマリンガールZ】

題材は爽やかでありストレートであり、プロジェクターを用いてテンポよく見せるなど、カット割りのような素早いテンポもよかったです。が、会話が生き生きと絡んでいる感じがせず、その一定のテンポに皆が一様に個性を画一化されてしまっている気がしました。小早川さんの映像のところでようやくテンポが崩れ、あそこで笑いました。最後に着替えを待っているであろうつなぎっぽい場面があり、これだけ待つということは、わたしは「実はこのあとサブマリンガールZ!の歌や踊りがももクロみたいに展開されるのでは」みたいなぶっとんだ展開の期待を持ちました。ところがそうではなく割と落ち着いた年月経過への転換でしたので、つなぎっぽさを消せたらよかったなあと感じました。

【Tomorrow is another day】

おばあちゃんたちも演劇部員もたいへん魅力的でしたし、あいこさんと従業員役の方の演じ分けが見事でした。とにかく生きた言葉のやり取りが魅力的でした。選曲はとても素敵でしたが、そのかけ方(特に音の入り方や途中の音量コントロール)に工夫があればなと思いました。時々音のほうを聴いてしまう時がありました。象の話は創作としてはもっと絡めていけたらいいのにと思いました。最後、客席のほうを向いて演劇部員を迎える時に、おばあさんたちがマスクをするというのもありかなと思いましたし(ここの場面の啖呵は魅力的でした)、現在に近い時間軸を描いている世界線でしたので、マスクやその他の今だからこう扱うという事柄を、もっと意識してもいいのかもなと思いました。

【アキラ君は老け顔】

國吉さんの作品が上演されているのを生で観るのは初めてでした。とても面白かったです。演者のみなさんが魅力的で、それぞれの人物を理解していて、会話を楽しめました。ほとんど音が無く進みましたが、後半にBGMが三種類くらい入り、この入れ方にこだわりが欲しい気がしました。特に一曲目がかかった時、かかりはじめた瞬間には、ここでとうとう来たか、効果的だなと思っていたのですが、それがあっという間に終わってしまって、とうとうかかったものを活かし切れなかったように思います。もっと引っ張っちゃってもおかしくない感じでした。あと最後、真ん中だけでなく今まで使った(生きてきた)それぞれの場所に(無人の中)ライトが入っても素敵だった気がします。

【青いひまわり】

題材はシンプルなものでしたし、ジェンダーについてさらっと書いているのにとても好感を持ちました。しかし、ある一定のテンポで話が進み、それが崩れずに最後まで行った感があり、いい言葉があってもその等間隔のリズムに埋もれてしまった気がします。等間隔でないところを作れば、そこが自ずと引き立ちますので、大事なこと聞かせたいことがある場合、思い切ってリズムを崩してみてもいいと思います。舞台を前と奥で分けて使っているのが良かったです。

【話半分】

最初の朝ドラのようなテンポ感、素敵でした。ただ、この話は上手下手をじょうずに使うことが話半分の主人公の設定を活かせるのになあと思いながら観ていましたが、けっこうあの高台と前場、しかも狭い感覚での使い方に終始してしまったので、話の設定を面白くするのに、十分な配置であったかはもう少し考える余地があった気がします。あのセットだとしても主人公の机を中央に配置し、日常の声を拾うほう、死んだ者の声を拾うほうを上手下手で見せるのは、ありだったと思いました。兵隊さんたちのやるせなさ、主人公の熱意、それらは凄く伝わってきました。

【牡丹灯籠】

所作の点、落語モチーフである点など、たいへん意欲的な作品でした。ともぞうさんご夫婦が魅力的でしたし、主軸のキャストのみなさんも所作にかなり気をつかっていて素敵でした。ただ構図が残念でした。大事な場面はほとんど上手の部屋のセットを利用して展開しますが、上手ゆえインパクトにかけました。そのうえ、ともぞうさんたちがセンターを取っていたりするので、余計にそこに物語の芯があるように見えてしまいました。センター奥から歩いていくところは素敵でしたが、上手部屋がセンターに来てもあの場面の印象を出す方法はあったのかなと思います。これが誰の話か、どこを聞き逃したくない話かで、いい配置というのが決まってきますので、今回は勿体なかったなあと思いました。あともし怪談咄だということも大事にしていたのであれば、もっともっと暗い灯りにチャレンジしてみてもよかったかな、なんて思いました。選曲が(いい意味で)ぶっとんでいたので、それに合わせて所作など忘れた動き、人の斬り方もありだと思いました。

【リーちゃん三世】

大変繊細な戯曲ですし、全員の人物造形が歪んでいるところが面白いので、やり方ひとつでだいぶ色が変わってしまうものだなと思いました。また口元が気になりマスクをしているという設定の醍醐味を感じるには、あまりにも世界がわたしたちの想像を超えてしまったな、としみじみ思います。ですがこの作品により、ああそんな時代もあったのだと思い起こさせてくれたのもまた事実です。で、現在の世界線での感覚から行くと、(当たり前になってしまった)マスクは異様に感じるようにもっと大きくしても良かったかもしれません。また亡霊たちは終始出ずっぱりが良かったと思います。演者は魅力的な方が多く、最後の亡霊たちと、友だちが呼びかける場面もよかったです。だからこそ亡霊は最初からリーちゃんの心の一端として、後ろの台に出ずっぱりで、というかみんな出ずっぱりで後ろに戻るのを基本とするくらいのやり方でも良かったかもしれません。最初並んでる絵にわくわくしましたので。

【笑ってよ ゲロ子ちゃん】

面白い戯曲でしたので、物語に見せる推進力はありましたし、最初の威圧的な場面は緊迫感があり良かったし、ゲロ子の雰囲気など、とても合っていました。ただ、セットでいくつか疑問に感じる間取りがあったり(コミュニティFM的な局であれば上手側のウーマンズ・ナウという番組名を社名の看板みたいに掲げなくて良かったのではないかなども含め)、曲をもう少し流したほうが成立するところで短く切ってしまったりなど、物語を追う前に疑問や引っ掛かりを覚える点がありました。職業ものの芝居をやる時に必要な下調べが(手分けしてでもいいので)少しでも多く出来たらよりよくなると思います。

【こんばんは、太陽】

セットも衣装もきちんとつくりこまれていて、また演技の揃い方など魅力的なところは多々ありました。創作脚本で書きたいことを丁寧にあぶり出そうとしていたのも良かったです。が、演技が揃うだけでなく、きちんと相手に当たるようになれば良かったと思いました。今回の話は差別の問題をある特殊なコミュニティの物語に落とし込んでいて題材としては骨太でいいと思いました。ですが、俳優がもっと相手に届けるように、その相手も鋭敏に受け取ってその感じたことを返せるようにやれたほうがいいと感じました。相手役にきちんと刺さる台詞は、客にも刺さるはずです、その点でアンサンブルの練習のほうに偏ってしまったかもしれません。ネメシアの役の方、魅力的でしたが、よりネメシアが客に伝わるためには、ネメシアそのものも大事ですが、まわりがもっと影響を与えるようぶつけることも大事だと思います。

【答辞】

一点、生徒会長がマスクを取り、一人で自分なりの答辞を述べるあの場面、あの場面で「本当の言葉・身体」を見られた気がして、あの場面が見られて良かったなと感じました。ピアノは実際に弾いたほうが良かったです。絶対そう思います。きっと練習は大変でしょうし、ピアノを習ってなかったら大変だと思うので難しいことかもしれませんが、とにかく舞台上の演者が紡ぐ生音というのは、その役の人生であるとか説得力を持って響くものです。破いた答辞は、派手に散らさず(一瞬散らそうとしてもいいのですが)そのまま手に持ってたり制服のポケットに入れるのがあの生徒会長のパーソナリティに近くて、より愛せるような気がしました。

【追憶のステラ】

セットが素晴らしく、スタッフワークに感銘を受けました。また扱った題材も普遍的なものでしたので興味を持って拝見しました。ここからちょっと込み入ったことを書きます。今回の題材は時を超えた「友情」や「夢」だったりするのかなと思ったのですが、その中でひとつのきっかけとして実際の事件を扱う場合に、それを用いることが客観性を持って外側から見て、物語の都合のためだけに見えないか、例えばもし当事者家族がたまたま見ても自信を持って見せられるか、芯の部分がその事件でなく友情や夢であっても、そこだけはもう少し戯曲を紡ぐ際に客観性を持って確認したほうがいいと思います。

あと英語⇔日本語のやり取りや、主軸の二人以外の個性が割と均されているのに最後の生演説で「七つの星たち」と全員重要視されているところなどが勿体ない気がしました。最初アメリカを知ってる子もいれば知らない子もいる、やたら詳しく知っているこまっしゃくれたやつもいる、などの違いがあったらよかった気がします。しかし合わせる台詞はとても稽古された感じがして、子どもたちの動きも可愛らしく面白かったです。

【笑ってよ ゲロ子ちゃん 殉情編 ~高校演劇バージョン〜】

戯曲、面白かったです。二人が大事にするもののずれ、エゴ、人間味、さまざまなものが詰まっているいい戯曲だと思いました。ただ演出には疑問を持ちました。この作品にそこまで馴染みがあるわけではないわたしからすると、物語を楽しむ前に引っかかってしまう演出でした。ソーシャルディスタンス意識なのかなと思いましたが、それなら、そのソーシャルディスタンスになっていることにもドラマがあるわけで、つまり「ドラマ(戯曲)」に「(演出的)ドラマ」を重ねた構造になっていたわけですが、演出で加えたドラマには戯曲ほどのガイドがありませんでした。ですからバランスが取れず気になってしまいました。例えば、作業灯で二人が稽古していて、その稽古がいつしか本当のやり取りのようになり、稽古が本意気に突入していくというラインなどはあっても良かったのではないかと考えたりしました。ただ主軸の二人の演技は素敵でしたし、『アイデンティティ』のかかる場面でぐっと引き込まれました。

【ラスト・パス】

最初の並んでドリブルする場面でいきなり心を掴まれました。スリーオンスリーも面白かったし、主人公とカトリくんの演技が達者でちゃんと絡んでいて、見ていて、たいそう安定感をおぼえました。また試合はガチで結果次第では違う流れになったりするというやり方も演劇的で、実際、そうなっていましたから面白かったです。主人公が休んでからエースになったバスケ部の人は、ボッチャの合間にシュートを確実に決めなければならないでしょうから、大変だったでしょうし、そのライブ感、本人たちの高揚感というのは舞台では確実に客席に伝わりますから、本当に試合を行ったことは芝居に艶を出してくれたと思います。戯曲のことですが、創作であるならば、もう少し議論する余地はあったと思います。たぶん、今の戯曲だと見ている側が物語を楽しむ前に引っかかってしまうことがあります。いくら凄い選手でも、ボッチャは片手間にやれるようなものではないこと、心理戦が生きるスポーツと言われながらも最終決戦があっさり終わったこと、人間の多様性を認める台本にしようと感じられたので好感は持ちましたが、それでも考えが足りないところはあったと思います。最後の場面は、現実じゃないと捉えましたがどうなんでしょうか。どちらとも言えないつくりでしたので、思い切って飛躍したことが起こる場面にしてもいいのかもしれないなと思ったりもしました。

【水面の月】

創作脚本として、とても試行錯誤された作品なのだろうなと思いました。年代ならではの苦悩が描かれたみずみずしい戯曲でした。衣装も美術も美しかったです。最初のプロジェクターはもっと多用しても良かったのではないか、もし最終的に「透明な自分も自分だと認める」という話であるならば、後半、あの透ける美術を生かして、透明も素敵だということをもっと表現することができたのではないかと感じました。また、つなぎ(転換)がもたついていて、どうしても観る側の意識が途切れてしまいました。ドビュッシーは後ろのクラゲを準備するためのつなぎになっていました。あれはドビュッシーをかけつつも前舞台でも二人がなんらかの想いを重ねていく時間になりえたと思います。二人の演技ですが、淡々とした道を行くか、積み上げてテンポが上がっていく方を選ぶか、全体を見た時にどれが一番伝わるやり方かを考えてみて欲しいと思いました。テクニカルの部分は、違う会場にならなければもっとやれた部分もあった作品だと思います。

【臥薪 SHOW 誕! ―REVENGE―】

戯曲は、題材は面白く、またコメディ要素も多々あり、好感の持てるつくりではありましたが、引っかかるところも結構ありました。マスクは「稽古」が終わってからもする世界線のほうが、説得力は増す気がしました。サスへの入り方のタイミングや音で気になるところもありました。音の大きさは会場が変わったことで調整するのがとても大変だったと思います。アテレコする場面は「お、いい遊び方が出てきたぞ」とワクワクしたのですが、いまいち利用しきれずに終わってしまった気がしました。また、そこに至る経緯もあやふやに感じてしまいました。ですが、主人公の演じ方には好感を持ちました。また、声優同好会の生徒役の方がいいアクセントになっていて好きでした。全体的に、実際の世界とリンクして切実だと感じる台詞はこちらに伝わり、それが説得力を助長していて良かったです。

以上、簡単ながら各校の感想でした。

みなさま、本当におつかれさまでした。

劇作家・演出家 鹿目由紀

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